病気体験記

_nae_ye

流した涙でめだかを飼おう

~めだかの舌癌闘病記~

①最悪の結婚記念日

「……記念日だよ」
主人がポツリとつぶやきました。大学病院の正面にある横断歩道で、赤信号を待っていたときのことです。
「ガン告知記念日?」
鼻で笑った私を叩くふりをして、主人は少し悲しそうに笑いました。
「今日が何の日か忘れちゃった?10月27日…結婚記念日だよ」
本日、二度目の大ショック。(……またやっちゃった!)
実は、私が結婚記念日を忘れたのは、この年が初めてではありません。
……というか、ほどんど毎年のように覚えていないのです。
さすがに結婚して1・2年ほどは、若妻らしく豪華な手料理を作ったり、ケーキを用意したりしていましたが、子供が生まれてからは、日々の忙しさの中で、乙女らしさも主人との甘い記憶も二の次になっていたのです。
毎年、ケーキの箱を手に普段よりも早く帰宅する主人に、
「あれ〜?今日は早いねぇ〜。…どうしたの?具合でも悪い?」
どと暴言を吐いて、主人を呆れさせていました。
立ち尽くす私に、さらに追い打ちの一言。
「しかも、今年は10年目」
「ああっ……スイートテン・ダイヤモンドがぁ〜」
一昔前の某宝石店のCMが、混乱する私の脳裏に浮かび上がりました。
……そして、しばしの沈黙。
私は22歳になって間もなく、7歳年上の主人と結婚しました。
主人とのいきさつについては、これまたドラマチックな出会いがあります。
友人たちは「禁断の愛〜」などと言ってからかいましたが、出会いこそドラマチックであれ、その後の展開は、私めだかの長期計画と打算に満ちた超現実的な恋愛模様。……そうそうテレビドラマのようには話は進まないものです。(みんな、夢、見すぎ!)
「そうかぁ…私、32歳になったんだもんね。本当だ、今年が結婚10年目だ。そして、厄年!」
人生、何をそんなに急ぐ必要があるの?……いつだったか、誰かに言われたその言葉。
22歳で結婚、24歳で長女を、そして26歳で長男を出産し、まさに子育てから片手が離れそうになっていたときの発病でした。
やっぱり、生き急いでたのかなぁ。もういいじゃん、結婚もしたし、可愛い子供にも恵まれたんだから。……そういうことなのかなぁ。」
「違うでしょう。10年たったから、これをまた一区切りとして、これからも力を合わせて仲良くしていきなさいってことでしょう。」
ヤケクソ気味な私の言葉とは対照的に、主人の声はとても優しく響きました。
こぼれ落ちそうになる涙をこらえようと、私は空を見上げました。
そこに広がっていたのは、一面の黄色の世界。イチョウの葉を、これほど美しいと思ったことはありませんでした。黄色の葉の隙間から、少しだけ青い空が見えます。
静かに、私の頬を涙がこぼれ落ちました。
 
異変に気づいたのは、9月の中旬ごろだったと思います。
いえ、もっと正確にいうと、得体のしれない不安や兆候は、以前からあったのかもしれません。
現に、数年前、左舌の痺れと味覚異常を訴えて、近所の耳鼻咽喉科を受診した記憶があります。(最近、その耳鼻科に行きました。当時の先生は他県へ引っ越し、今は別の先生がその病院を引き継いでいます。さりげなく初診日を確認したところ、平成16年の5月でした。その次の年にも受診の記録が残っていたのですが……残念なことに病気を発見することはできなかったのですね。)
その時は、特に目に見える異常はなく、亜鉛不足でそのような症状が起きることもあると言われ、亜鉛を補えるという胃薬や舌下錠を処方され帰宅しました。
「女性は亜鉛不足になりやすいんです。」
という先生の言葉が、「舌ガンかも!」という私の不安を打ち消していました。
違和感も比較的早く消えたのだと思います。
の後も、風邪をひいたり疲れたりすると、時々、口の中に痛みがはしりましたが、私は亜鉛が不足してるんだとか、ホルモンのバランスが狂ってるから口内炎ができやすいんだと、あまりそのことを重大に考えませんでした。
治るから大丈夫、悪い病気なら治るはずないんだから……。どこか、そんな風に自分自身に言い聞かせていたように思います。
そのくせ、時折、思い出したように不安にかられ、家庭の医学を開いては、自分の口内を入念にチェックしてもいたのです。
いつの頃からでしょうか。舌の左右の高さが微妙に違いだしたのは……。
このときも、私は実に都合のいい解釈をしました。人間の顔が左右対称じゃないのと同じで、きっと体のどこかが歪んだからなんだ、と。
でも小心者の私は、このときも間違いなく、家庭の医学を何度も何度も読んだのです。
そして……何故か『大丈夫』という結論にたどりついたのでした。
残念なことに、我が家にあった家庭の医学には『舌ガン』の説明として、私の病気が発生した場所、舌根にできるというような記述がなかったのです。
『臼歯に触れる舌の辺縁に発生することが多い』
その程度の説明しかありませんでした。
うして月日は流れていったのです。

いよいよこれはおかしいぞ、と思い始めたのは、10月に入ってからのことです。
普段なら一週間ほどでひく痛みが、2週間たってもまったく消えなかったのです。
この頃になると、激しい痛みに、食事も満足にとれなくなっていました。
やっとのことで重い腰を上げたのは10月7日のことでした。
かかりつけの歯医者さんに行き、今までの経過を細かく話すと、私の口を覗き込んでいた先生が驚いた様子で言ったのです。
「傷があるね……噛んだりした?」
普段、とても丁寧な説明をする先生が、言葉少なめに、
『4日後に、もう一度診せてください。』
と言ったとき、いや〜な予感がしました。
それでも、いただいた薬を塗ると、少しではありますが、痛みも腫れもおさまったように感じたのです。
10月11日、そして10月13日と、私はその先生の元へ足を運びました。
そして10月13日の診察で、「通常の口内炎であれば処方した薬で治っているはず」、ということと、「一度、大きな病院できちんと見てもらったほうがいい」、ということを告げられたのです。
「なるべく早く……明日は土曜日だけど、午前中ならやっているから。一応、教授あての紹介状にはなってるけど、助教授か講師の先生がいると思うんだ。できるなら、明日の午前中に行って診てもらって……。」
大学病院への紹介状を手渡され、私の不安はMaxに膨れ上がりました。
「そんなに悪い病気なんですか?」
私の質問に、受付にいた奥様が、
「そんなに心配しなくても大丈夫だと思うけど、やっぱり治りが悪いし……一度、検査をしてもらったほうが安心でしょう?」
と声をかけてくれました。先生は何も言いませんでした。先生の脳裏には、最悪の事態も浮かんでいたのかもしれません。(大丈夫、きっとなんでもないはずよ!)
そう思いながら、私は震える手で、大学病院の電話番号をナビに打ち込んだのです。

10月14日、私は一人、大学病院の口腔外科を受診しました
私を見てくださったのは、臨床研修医の若い女性。まだ慣れていないのか、手つきはぎこちないものでしたが、丁寧に話を聞くその姿勢が、不安でいっぱいだった私の心を、少しだけ和らげてくれました。
間もなく、指導をしているらしい30代の先生がやってきました。
二人で私の口の中を見ながら、なにやら専門用語を話しています。いやな言葉が耳をかすめていきました。
「……なにか、悪い病気なんですか?」
無駄だとはわかっていても、聞かずにはいられませんでした。
「それを調べるために、いくつか検査をしましょう。」
……当然の答えだと思います。めだかも一時、医療機関で仕事をしていたことがあったので、言葉の重みは理解しているつもりです。
医療従事者として、無責任な言葉で患者を混乱させることは許されない。それでも、このときの先生たちの言葉は、ずっと忘れることができません。
大抵、そんな誤魔化しの裏には、最悪の事態が待ち受けていることが多いことも知っていたので……。
しばらくして、隣の診療台に座っていた初老の男性がこちらを向きました
「俺さぁ、ガンかもしれないんだよ。まあ、覚悟はしてんだけどさ。かかりつけの歯医者が、転移してなきゃいいな、手遅れじゃなけりゃいいなって言うからさ……やっぱりいやだよなぁ。」
私はぎこちない笑顔を浮かべるのが精一杯。
「舌の横に、デキモノがあってさ。歯医者に行くまで、全然、気がつかなかったんだよ。まいったなぁ〜。」
その男性は元気よくしゃべりまくります。始めは、自分の病気に対しての不安から、話し続けなければいられないのだと思っていました。
でも、違ったのです。
あまりにも気落ちしている私を見て、声をかけずにはいられなかったのです。
しばらく話をするうちに、同じ地域の人だということがわかりました。その男性は、私がひとりで来院したことをとても心配してくれました。
「ダメだよ、誰かと一緒にこなくちゃ。動揺して帰り道に事故にでもあったら大変だろう? 俺なんて、今日、ガンの告知されても平気なように、家族と一緒にきたんだから……。」
本当は、私だってすっごく心細かった。できることなら主人に付き添ってきてもらいたかった。
でも、あいにくその日は仕事の都合で、どうしても一緒に来てもらうことができなかったのです。
心のどこかで、主人同伴でこなければならないような、大ごとでないことを祈っていたのかもしれません。
随分と長い間、診察台に座らされていたと思います。次にやってきたのは、50歳前後の優しげな先生でした。その先生は、私の口の中をしばらく黙って覗いたあと、私と隣にいた男性に向かって言ったのです。
「2人とも偶然にも症状が同じようで、検査の説明を一緒にしたいんですがいいですか?」
この時、私の頭はパニック状態でした。
ガンを覚悟で来院した男性と、同じ症状、同じ検査……。先ほどその男性が、
「悪い病気の可能性が高いので検査をしましょう。」
と言われているのを、私は聞いてしまっていたのです。私についた先生たちは、
「悪い病気の可能性があるので検査をしましょう。」
と言いました。
「悪い病気の可能性が高い」と「悪い病気の可能性がある」とでは雲泥の差です。
そして、その時になってやっと気付いたのです。
先生たちの口からでた専門用語のひとつ。……それは、ガンの進行度を示すものでした。ピンとこなかったのは、それがあまりにも進行したガンを示す言葉だったからです。
とても、小さな声でした。でも、それはしっかりと私の耳まで届いてしまった。
さらに追い打ちをかけるような、たくさんの検査の説明。CT・MRI・PETとくれば、何を疑っているのかなんて一目瞭然です。
普段だったらなんとも思わない血液検査だって、私をブルーにさせるには十分な威力を持っていました。
「……マーカー検査?本当にやるんだ」
以前の職場の上司が、
「私がマーカー検査をオーダーされたら、間違いなく卒倒しちゃうわぁ〜。だって、腫瘍マーカーよ。あなたはガンです!って言われてるようなものなんだから。」
と言っていたのを、ばっちりと覚えていましたから……。
何度も何度もしゃがみこんで私の顔を心配そうに覗く研修医の先生の優しさが、嬉しくもあり、不安でもありました。

10月27日。私は主人と二人、再び大学病院の口腔外科を訪れました。
今日は教授診ということもあり、外来のロビーは多くの人でごった返していました。順番を待つ間、どんな会話をしていたのか、今ではよく思い出すことができません。
確か、舌を全部取ってしまっても意思の疎通はできるはずだ……とか、インターネットでちょっと調べてみたんだけど……とか、主人がいろいろと気遣ってくれていたような気はするのです。
ですが、なにせこの2週間というもの、自分はすでに手遅れなのでは……という思念にとりつかれていた私は、このとき死刑台への階段を上っているような心境だったのです。
口腔外科の教授は、私が想像していたような、ふんぞり返った偉そうな人ではありませんでした。
きついこと、冷たいことを言われるんだろうな……と思っていた私は、少々、そのことに対して驚いたのを覚えています。
教授は、私のCTをしばらく見たあと、口腔と頸部の触診を始めました。そして、実にざっくばらんに言ったのです。
「あのね、隠しても仕方のないことだから、本当のことをお話ししますね。……これは、私が今まで見てきた症例からすると、間違いなく悪い病気だと思います。今はまだ検査が途中なので、まずは残りの検査をやってから、今後の治療方針などを決めていきましょう。」
確か、こんな内容だったと思います。私は初診のときとは比べようもないくらい、パニックになりました。
言葉は、あまり出なかったように思います。ただ、心臓の激しい鼓動を抑えようと、胸に手をあてたまま、荒い呼吸を繰り返していたのは覚えているのです。
「私……死ぬんですか?」
聞きたくない……でも、どうしても聞いておかなければならないことでした。
まっ先に浮かんだのは、小学二年生と幼稚園年長の子供たちのこと。そして、たくさんの苦労を背負っていかなければならない主人のことでした。
質問したところで、「それは検査をしてみないとわかりません」とか、「最善の治療方法を選んでいきましょう」とか言われて、ごまかされるんだろうな……と思いました。
でも、教授は違ったのです。検査も途中。多分、手元にあるデータはX線・CTと血液検査くらいなはずです。なのに、はっきりと言ってくれました。
「大丈夫、死にません。」
と。この言葉に、どんなに救われたことでしょう。
それから主人が呼ばれ、今後のことが話し合われました。ただ泣くことしかできない私に、教授が言いました。
「病院ではいくら泣いてもいいからね。いっぱい泣きなさい。でも、家で……子供たちの前では絶対に泣いちゃだめだよ。」
私は、この言葉を未だにちゃんと守っています。子供たちの前では泣かない、弱音をはかない。それは、精神的にも肉体的にも不安定な私にできる、唯一の約束のように思えたからです。

こうして、私は入院することになりました。目的は、検査入院。
も、ちゃんとわかっていました。
それが、長い入院生活のスタートになることを……。

2009年07月03日 02時20分
体験日 : 2006年10月27日
治療状況 : 診断前/検査
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