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こんにちは☆はいポン
タバコを吸っていないのに肺ガ~ン
- 告知・・・それまでの過程を受け入れること
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忘れもしない2006年10月25日。「肺癌」と告げられました。
腺癌。ステージⅣ。余命半年〜1年・・・
私は理学療法士です。
1年前の夏、平行棒で患者さんの立ち上がり訓練をしている時に異変が起こりました。
全面的に介助をしないと立てない方。その方の前方に立ち、両脇に手を入れ体を挟み込み、重心を前に移 しながらいざ立位へという瞬間「ぶちっ」と私の体の中で音がし、左横腹に激痛が走り ました。
近所の整形外科に行くと「肋骨打撲」と診断。
これくらいで折れるの?と不思議でしたが、職業がら「肋骨骨折」だと思いました。それに打撲はしてません し(笑)
レントゲン上、明らかに骨折の所見が見付からなかったからこう診断したのかもしれませんね。
そもそも健康診断などで立ったままで撮る胸部のレントゲン。骨でなく肺にフォーカスが当っているので、見付かるはずはありません(^_^;)
誤診はこれで終わりませんでした。
別の病院で改めてレントゲンを撮ってもらうと、左第10肋骨に丸く黒く抜けている影が写りました。
大きい病院で検査してもらった方が良いとのことで、腫瘍専門の科がある病院へ行きました。
その場で結論が出ることはなく、CT、MRI,骨シンチグラムを後日受けることになりまし た。
もちろん採血(腫瘍マーカー含む)、検尿もしています。
職場に迷惑をかけながらの通院を続けました。そして出た結論は、
「良性でしょう。」
とおっしゃりつつ、先生の口から病名は明かされませんでした。
生検をして組織を調べていないので、確定診断ができなかったのでしょう。肋骨の腫瘍がある場所の断定が難し いので、組織を取るのは一苦労。
その時の腫瘍マーカーも異常値を示していなかったことも、その理由の1つのように思います。
臨床所見や他の先生の話から『繊維性骨異形成症』と想像できたので、私も良性と信じていました。
骨がもろくなっているので、いわゆる病的骨折を起こしたのだろうと。
実際、肋骨骨折の経過通り4週目には痛みがなくなりましたから。
その後、お正月明けから妙に左肋骨付近が気になりだしました。
5月にはリブバンドをしないと仕事ができなくなりました。
しかし、病的骨折だから無理をしなければ治ると思っていました。
でも、9月に痛みの限界が・・・関連病院の整形外科に受診した時、今の病院を紹介されました 。
腫瘍がある第10肋骨を一部切除しましょうという話になりました。
その病院は入院前日に電話連絡は入る形になっていたので、予定が立ちません。
手術のための検査、入院の用意、申し送りなど仕事を続けながら入院の連絡を待っていました。
実は、その年8月に行われた健康診断で胸部レントゲンの異常を指摘されました。その前の年、2006年4月の健康診断でも指摘されましたが、その時はスルー しています。
今回のCTは、肋骨部分だけでなく胸部も含まれていました。結果は・・・左肺に影が写っていました。
10月11日に整形外科から呼吸器内科へ紹介されました。
肺の腫瘍は殆ど悪性であることを知っています・・・不安な2週間の始まりでした。
10月19日に気管支鏡で組織を取りました。咳き込むは苦しいは涙ぽろぽろ。この検査は一生やりたくありません。
その翌週に診察。それが10月25日です。
既に1年前から骨転移がありました。
肺の癌はそれ以前に既に存在していたことも分かります。
それが発見されるチャンスは何度もありました。1年前の健康診断。肋骨が痛くなってからの診察で、しかも3ヶ所の病院でです。
あなたはこういう経験をしたら、どうしますか?
誤診なんだからと医者を訴えますか?
実際、訴えたところで勝ち目は殆どありません。今、癌であるという事実も変わりません。
私も初め、それまでに関わった医師を恨みました。
「なんで?」の連続。
でも、その気持ちが変化しています。
今なら分かります。
ここでの私の学びは「許し」でした。
この1年半は「癌」を受け入れるための準備期間だったのだと思います。
その間に、色々な良い出会いが合りました。ちなみに恋愛ではありません(笑)
生きる目的や、ライフワークとの出会いは正にそうです。
1年前に診断されていたらパニックに陥っていたのが目に見えます。
死に対する恐怖に飲み込まれ、今のような心理状態に達することはなかったでしょう。
その時の先生、癌を見つけてくれなくて「ありがとう」
こんな感謝の仕方ってある?
自分で笑ってしまいました。 - 2009年08月12日 05時51分
- 体験日 : 2005年 夏
- 治療状況 : 診断後/告知











