- TOP
- > キミアキさん
- > 理解され難い圧迫骨折
- > もつれた家族との関係
理解され難い圧迫骨折
単純骨折と圧迫骨折の違い
- もつれた家族との関係
-
第一章:発症
退院してから身近の病院でリハビリといってもストレッチを受けるようになり、毎週月水金通っていました。そんなある日昼食後家族に特に父に思いも掛け ない言葉を聞かされました。
「もうお前は病人じゃないんだぞ。明日からもっと社会復帰を考えて歩いたり色々と頑張れ。」と痛む腰をさすりながら聞いていました。 心中は、とてもそこまではできないよ未だに怖くてストレッチ以外では、コルセット外 せないよ。と思いとても辛い思いをしていました。
また、姉からは「どうするのかこの頭で考えるんだよ。」と叩かれながら言われ、母からは「お前が一家の主なんだ からしっかりとがんばっておくれ。」と言われました。
言われながら私は、『俺もそうしたいけれどまだ痛いし重いし左脚は痺れるし頑張れないよ。怖くてコルセット もストレッチ以外では外せないよ。とても前のように重い物など持てないよ。』と思っ ていました。あれもこれも医師から言われた「コルセットを外したとき強い痛みがあっ たら救急で来て下さい。手術も考えられますので。」というコメントが主な原因でした 。すっかり自信を失っていた頃にいきなり家族から労いではなく叱咤激励がありました 。
この時を境に孤立感を感じ始め、なおさらコルセットが外せなくなりストレッチも止め、入浴も拒否するようになりました。
しかし、歩行だけは毎日行ないました。そんなある日突然右脚がもつれ始めました。目眩や吐き気・頭痛もあり、徐々に 不安が出てきました。この頃から家族に当り散らすようになり始めました。
そして、3ヶ月ほど経ったある日姉が「精神科に行った方がいいよ。」と言い出し、私も同 感でしたので3日後に至近にある心療内科の予約を取りました。この3日間が地獄でし た。右脚は引き摺るようになり、右腕は肘から上がらず、右目は徐々に暗くなりました 。予約をしたので、久々に入浴をしました。この入浴が慢性硬膜下血腫に悪影響を与え たようで熱くてたまりませんでした。
翌日精神科に行き様々な面談と診断があり医師から「PTSDです。」と言われました。
この日の夜に悪化した慢性硬膜下血腫の診断が夜間救急でなされ翌日に入院手術となりました。
私は、圧迫骨折・PTSD・慢性硬膜下血腫の3種類の病気との闘いがこの日から始まりました。この章 はこの辺で終わりたいと思います。続く。
第二章:原因
話は戻るが退院時に担当医から「入浴の時、コルセットを外して強い痛みが長く続くようになったら救急で来て下さい。」と言われました。更に「弓のよう に丸まって寝る癖があるのならコルセットをしたまま寝て下さい。」と言われました。 この言葉がPTSDの原因となりました。
更に家族が「何時になったら働きに行くんだ。大した病気でもあるまい。」とか「家に帰って来るのが嫌になるよ。」等と私 の骨折や頭部の怪我の大きさが全く理解されずに、孤立したまま部屋に閉じ篭る日々が 続きました。
2回目の精神科に心配になった母と薬とカウンセリングを受けに行った時のことです。精神科医は「とにかく何でも言うことを聞いてください。家族への 不信感だけが支配してます。なぜもっと早くに来なかったのですか。」と母は言われま した。
整形外科の担当医の言葉と家族の理解の無さがPTSDの主な原因だと精神科医は母に言いました。
帰宅し、家族に母は話しました。母は涙を流しながら「何であの子の身にならなかったのか。みんな私達のせいだよ、彼をPTSDにしたの は。」と話していたことを覚えています。父はただ俯き震えながら堪え、姉はただ泣い てました。その後姉は「分からなかったし、そんなに怖かったのかと思うと経験の無い 私には理解できなかったし、でも可哀相なことをしてしまった。」と言っていました。 父は「ちょっとその辺を歩いてくる。」と言い残し家を出て行きました。
圧迫骨折とは大変理解され難い骨折です。単純骨折や複雑骨折粉砕骨折は横からの衝撃で骨折 しますが圧迫骨折は縦からの衝撃で骨折します。言わばトイレットペーパーの芯を縦に ぐしゃっとつぶしたような骨折です。また、慢性硬膜下血腫は徐々に症状が現れてくる ため身近にいる家族などには分かりずらい脳の損傷です。続きはまたの機会に書きます 。続く
第三章:闘い
腰痛や慢性硬膜下血腫による右半身の気だるさは徐々に無くなっていった。
しかし、これからが真の闘いであった。父と姉が「温泉にでも行って少し休んできなさい。」と言った。心臓にペースメーカを入れ た母とPTSDを抱える2人にである。母に「行ってみようか。」と誘われたため、石 和温泉に行った。3泊4日の湯治に行ったのである。今から思うと無謀としか思えない 旅であった。何があっても不思議はない旅であった。
温泉から帰ってくると急激に現実が心を支配した。連日フラッシュバックに襲われた。多い日には、少なくても1 5回はフラッシュバックに襲われ、事故前の体重は74kgあったがわずか5日間で5 8kgまで落ちるほど心身ともに疲れ果てた。そんな12月30日、突然思った。『こ のまま正月を迎えるのは嫌だ。何とかしないと年を越せないぞ。』私は、今まで起こっ た全てのことをベッド上で思い出すことにした。
時間を遡るようにして思い起こしていた。強大なフラッシュバックに襲われ続けた。
胃は口から飛び出してくるように感じ、心臓は相当な速さで鼓動し、腸はねじれるようで、頭は回転しっぱなしの 5時間であった。途中3回ほど汗で寝巻きを交換しながら怖さと不条理さと闘った。
その闘いで分かったことがある。PTSDの根幹は、小学校・中学校の時のいじめであった。毎日のようにいじめられていた事を思い出し、海馬の中で蓋をしていた事が 分かった。その言わばパンドラの箱の蓋を開けたのが事故と家族の理解の無さであった 。途中(疲れたのでしばらく休憩します。) - 2010年02月08日 17時54分
- 体験日 : 2004年08月18日 ~ 2004年10月31日
- 治療状況 : 予後・退院後/経過観察











