我が闘病記
ガンからの生還
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あれは平成11年11月中頃の事だと思う、長男の結婚式、母の死去 職場の新体制へ
の移行と慌ただしい日々の過ぎる毎日でした。あれは、母の葬儀の席上であったと思う 、急に鳩尾の辺りに激痛が走り、息き苦しく、冷や汗が流れ、席を離れ休息を余儀なく されました。 時間にすれば数分 一瞬,心臓が止まる「心筋梗塞」の恐怖に脅えた一 瞬でした。
その後も 風邪気味で体調が優れず、11月18日の夕食だと思う、風邪にはニンニクと生ニンニクをタップリ添えた、カツオのたたきを、夕食に食べた記 憶があります。
夜半になり、トイレで真っ黒な排便(タール便)に驚き、翌日風邪で通院していた 職場近くの診療所に駆け込みました、「胃潰瘍の疑いがあるので 、大きい病院での受診」といわれました。
11月20日、大和のT州会病院に向かいました、この時、受診に当たられたのが Y先生であり「胃潰瘍の疑いがあり、内 視鏡の受診を進められました。
当日 予約はしていなかったが、「少し待ちますが、キャンセルがありますが、どうしますか」と偶然にも内視鏡の受診機会を得る事が 出来ました。
その結果、「胃の上部に潰瘍があり、出血していました 今は小さいが 放っておくと将来 悪性に向かう早急の手術を」との診断でした。
一緒に来てくれた、長男を別室に呼び「初期の胃がん」との宣告でした。 室から出てきた、 長男を見ると顔は青ざめ、ふるいていました。相当のショツクを受けたようでした、直 感的に「ガン宣告」と感じ取れました。 心の中では、誤診であって欲しいと祈る気持 ちで一杯でした、なんで私がの気持ちです。
もう一度 、太きい病院で診察してもらう、そんな気持ちで居たところ、子供達(長男、次男)で相談、K里大学病院の予 約を済ませていました。
12月2日 K里大学東病院、消化器内科K先生の初診で、先生本人が直接内視鏡を覗き診察してくれたことを覚えています。
やはり、願いもむなしく、「T州会病院」と同でした、K先生は自分に直接「初期の胃がん」と 告知され、一瞬
思考が停止、何も考えられづ「ボーツト」話を聞いていたようでした ガンの告知、テレビ、小説等では、告知する方も、される方も悩みながらの告知を 想像したいので、余りにも直接的でありビツクリしたことを覚いました、先生が直接的 に、淡々と説明されたので、かえって「スンナリ」」自分が受け入れる事ができ、今と なっては、よかったと先生に感謝しています。
あの時は、コンピューターの2000年問題があり、年内の大きな手術は見合わせいる、これにより手術入院は、翌年1 月4日となってしまいました。
正月早々、入院これからは、手術のための胸部CT撮影、自己献血、中腸x線、患部のマーカー付け等々
検査処置等で、この間の検査等で「バレット食道癌」正式な病名も告げれ、また一番苦しかった検査、そんな覚え があります。
この間にも、手術担当のK先生、手術スタッフの説明、励ましにより、この人達に全てを託そうと全幅の信頼を置くようになってきました。
これで、1月17日の手術に、何の憂いも無く望む事ができました。でも、今思い出すとl説 明の中で、「胃の全摘、開胸、食道の摘出」との説明を受け時は相当の「ショツク」で した。
手術当日は、不思議なくらい穏やかな気持ちで手術に望むことができました。5名の先生の下で、家族の見送りを受け、約8時間にも及ぶ手術に耐え、最初に目 に飛び込んできたのがS先生で「手術は無事終わりました、今血液を拭いていますと」 いわれた事を覚えていますが、すぐにこん睡状態に陥り、目覚めた時は,ICUで家族 の顔、顔、手術スタッフの励ましでした。
一夜明け、翌朝になると、声は出なくなり、左足は痺れ、十数本のチューブに繋がれ身動き取れない、また、微睡でくると、 息が詰まり、呼吸困難に陥り心臓が止まる、そんな恐怖に陥り眠れない時が過ぎていき ました。
早くも、19日にはICUから集中管理室に移り、歩行訓練を始めましたが、最初の一歩がこんなに自分の体が重く、一歩、歩くのがヤットでした。4~5日 間は順調に過ごしましたが、その後、高熱が続き、天井のシミ等が種々の絵画、観音像 に見えたような幻覚に襲われる不思議な体験をしました。こんな状態が一週間位続き、 熱が下がってからは、チューブも一つ、一つと取れるに従い、心も体も軽くなっていく の実感できました。
そして、29日からはいよいよ一分粥、31日には一般病室に移る事になりました。
この頃からは、看護スタッフの方々からも「回復が早いですね」といわれるように順調に経過していきました。
術後の検査結果、「ガン」は第一皮のみ、摘出した部位、リンパにも転移が見られず、抗がん剤の投与は必要あ りませんと言われたときは、「天にも昇る」そんな気持ちでした。この世には、神も仏 も居るそんな思いが強く感じた一瞬でした。
神の加護、検査チャンスを得た「偶然性」、信頼できる医療スタッフ、家族の絆、人の励まし、暖かさを身を持って実感し た事はありませんでした。
そした、2月21日入院前72kgの体重も60kgまで減ったが、無事退院する事ができました。
この時は、先にまっている苦しみは想像する事はできませんでした、あれは、3月はじめ頃だと思う、それまでは、少しで はあったが食事は取れていましたが、日の経過と共に固形物(ご飯粒でも)が喉を通ら なくなり、ご飯粒が喉に詰まる閉塞感に襲われ、苦しみ、不安感で食事時が恐怖に変わ りました そんな日が続き、3月14日のX線の導通検査「食道の結合部」が狭くなっ ているとの診断で、傷の固まる間、流動食で過ごし、3月23日から「食道拡張治療」 を一週間毎に計6回実施、お粥が喉に詰まらず通過する、爽快な気分と安堵感を憶えた のを記憶しています。
順調に食事が取れるようになってからも、度々、ダンピング症の腹痛、吐き気、不快感に襲われ、度々通院した覚えがあります。
そして、入院から151日の闘病生活で「職場復帰」に挑み、苦しみ、悩み、痛みに耐え、平成 12年6月5日
職場復帰を果たす事ができました。
闘病後、生かされいる、検査チャンスの偶然性、信頼される医療スタッフ、家族の愛、人々の励まし、暖かさを 感じ取れた闘病生活でした。
こんな事もありました、あれは、何時の事だか分かりませんが、俳優の故三浦光一氏が、食道癌での死去の報道でした、自分もあのように なるのかと、K先生に話したところ「亡くなった人は報道されるが、それ以外に、術後 元気で過ごしている人は数多くいる」としかられた時は、救われる思いでした。
9月には、腸閉塞から「上長間膜静脈血栓症」のため、二度目の手術で小腸を半分摘出 することになりました。8年が過ぎ、ヤット闘病記を書く心境に至りました。現在は大 極拳、パソコン、デジカメ、市施設でのポランティア等々元気に過ごしております。
同病者の回復に少しでも、役に立てればと、闘病記を記しましたが読んでくださってありがとうございます。 - 2008年07月23日 13時57分
- 体験日 : 2008年07月13日
- 治療状況 : 診断前/手術










