病気体験記

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Heaven's Door

◇ 診断・治療開始

2004年3月〜5月

 3月に入り、胃腸の不調を訴えていた母、近くの総合病院では明確な診断はされず
消化液の逆流によるものだろうという見解。薬を飲み続けるも体調はよくならず、4月に入ると
背中に違和感を訴える。それでもまだこの時点では胃腸を疑っており、他の胃腸科へ・・・
最初に診断したのは院長だったがこの時は胃カメラでの検診のみでエコーでの診療はされず・・・。
その後、背中の痛みが強くなってきたことで、ようやくエコー、膵臓あたりに腫瘍らしき影が認められる。
血液検査による腫瘍マーカー値CA19−9 は46 膵臓癌である可能性を医師から告知された。
この時、エコーでの検査をしてくれたのは院長ではなく別の若い先生でした、最初の診察でなぜ、エコー
をやらなかったのか・・・この先生も思はず愚痴を漏らしていた。

MRIと造影剤投与での撮影は結局5月13日。既に背中の痛みから2ヶ月が過ぎようとしていた。。
  
2004年5月9日〜5月12日

  母から病状についての報告を受けたのは5月9日、
の時、既に膵癌について知識のあった母は覚悟をしていると家族に話した。
話の深刻さは十分理解したが父も私もあまり実感がなく手術でなんとかなるのでは・・・
という思いがどっかにあった。自宅に戻り膵癌についてあれこれ片っ端しから調べた。
どれもこれも自分の認識の甘さを痛感する気の滅入る内容ばかりだった。
とにかく深夜まで徹底的に情報集めの毎日。死なせてなるものか!との思いで必死だった。
なんでこんなことに?よりによって・・・。こんな思いに打ちのめされ何度も涙が出た。
しかし今はそんな時間はない!とにかく家族みんなで闘病する決意を強く自分に言い聞かせる。
  

2004年5月13日

  夕方、造影剤投与撮影の結果が出る。
写真があがってきた際、我々夫婦のみがレントゲン室前にいた為、
主治医に話を聞く。
膵体部腫瘍39×33mm 周囲の血管に浸潤があり外科医療は不可。化学療法にて治療していきますとの事。
事前に聞いていた腫瘍マーカー値が低かった為、万が一の可能性を期待していたが適わなかった。
今のところ膵癌では第一の薬であるGEM(ジェムザール)の説明とその投与によって延命成績が割と良好である事などの説明を聞く。
ただし完治は無理・・・・覚悟はしていたがショックだった。
セカンドオピニオンの為の紹介状を依頼しとりあえず父に電話を入れ結果を報告する。
父はかなり楽観視している様子だった為、母が検査入院した昨日ひと通り膵癌の資料を渡しておいた。
が、外科治療の不可を伝えた時はやはり夢にも思っていなかったのか、かなりのショックを受けた様子。
すぐに明日、準備をしていたN大、N市大病院へセカンドオピニオンで意見を聞きに行くと伝えた
現在のこの病院は胃腸科で主治医の先生も膵臓の専門医ではない。
専門医ならではの診断は未だ受けてないのである。
病室に戻りいつ結果を伝えようか迷っていると主治医が診療に訪れた。診断結果は?と母が質問したのに思わず、私が全員揃ってからの方が・・・と待ったをかけてしまった。が、結局その場で手術不可と化学療法の説明がなされた。沈黙が流れる・・・。
気丈な母だが、さすがに寂しげだった・・・
先生がいなくなった後、今の化学療法は昔とは違い十分な効果もある事、手術によるリスクが高い為の選択であり、手遅れではない事、抗癌剤の進歩により多くのヒトが社会復帰している事などを話し、とにかく励ました。
ひととおり話し終わり、痛い思いするならその方がいい。と納得した様子だった。
  

2004年5月14日

  朝、母のところに顔を出し、N大、N市大での診察をしてもらうと伝える。
母はどこでも同じ見解なら今のこの胃腸科でもいいと言っていた。
主治医の先生は本当に親切でマメに顔を出してくれ、母もとても信頼していた。最初に病気を発見してくれたのもこの先生だ。
ただいかんせん専門外は否めない。こちらでもGEM投与の治療はやった事はあるそうなのだが、やはり最高の治療をうけさせてやりたいとの思いが強かった。とにかく絶えずいくつかの選択肢を準備しておくつもりだ。どの選択が一番良いのかは分からないが、そのぐらいの事しかやってやれない。
その程度の自分に無力さと腹立たしさと不安とが常につきまといながらも、母の方がよっぽどつらいと言い聞かせ、やるべき事を行動に移していく。
セカンドオピニオンは結局、N市大の方は来週木曜にしか膵肝の先生がいないとかで診察は不可、N大の方はちょっとコネがあり消化外科の名のある先生に診ていただくことに。ただこれがどうやっても19日の水曜しか都合がつかない。
なんとも焦りと苛立ちばかりで、はがゆい限りだ。この数日間は本当につらかった。
膵臓癌は進行が早いというのに・・・藁をもつかむ気持ちで漢方薬局でアガリクスと十全大補湯を買う。
今の胃腸科は17日から治療を開始すると言われていたが事情を説明し待っていただく様お願いをした。快く了承してくれ、それならばと一旦、退院する事を勧められる。
ただ治療開始はあまり遅らさない方がいいとアドバイスもされる。病院を替わる際もすぐに紹介状と資料を用意しますと言って頂いた。
素人考えで病院を移るのもそれなりの苦労を想像していただけにその言葉が本当に有難かった。
  

2004年5月19日

  朝、母と父と3人でN大病院へ。ショックから立ち直った父もさすがに今日は一緒だ。
随分待たされ消化外科の先生に診ていただく
。レントゲン、紹介状を渡す際、用意していたメモ書きをこっそり渡す。母は全ての告知を望んでいるが、あまり厳しい話は私が後ほど伺います。といった内容を記しておいた。放っておくと余命まで質問しかねない。
ただこの精神力の強さと覚悟を決めている潔さは家族をどれほど救っている事か・・・お互いだまし、だまされているふりをしていては精神的にもまいってしまう。
オープンだからこそみんなで闘える。
N大消化外科は膵肝の外科手術に関しては国内最高レベルと思われる。万に一つもやはり根治治療の望みを捨てきれないでいた。
CTをしばらく見ていた先生に母が質問した。"やはり手術は無理でしょうか・・・?"しかし結果はお奨めできないとの事。浸潤している血管ごと切除したオペも過去にはやっているそう、しかし予後が厳しいようだ。手術自体のリスクも高い。
母は自ら化学治療を選択すると言った。覚悟は出来てるので敢えて痛い思いはしたくないからと・・・。
結局、すぐにでもこちらで治療をお願いしたいことを伝え、すぐその日にCTと放射線照射の為の検査の手配をしてもらった。治療開始は24日から。
  
2004年5月24日

  今日からいよいよ治療開始:放射線(週5日)+GEM(週1日) 5週間で1クール  初日はGEM投与のみ、投与量までは不明だったが心配された副作用はない。
ないならないでGEMが効いているのか非常に不安なのだが、こればかりは仕方ない。この先はある意味、神頼みだ。効いてくれと願うばかりだ。
私は24日夕方から仕事を早めに切り上げ東京へ、埼玉県M病院へセカンドオピニオンをかね話を聞きに行くためだ。
M病院は動注カテーテルという血管に管をいれそこから抗癌剤を投与するという治療法の代表的な病院だ。特に膵臓、肝臓癌に対し非常に優秀な成績を出している。
日、病院のHPへメールで問い合わせをしていたのだが、18日夜、院長先生が電話をくれた。
その際、多少話を聞けたのだが、この動注療法には母も興味があり、埼玉は母の実家でもある事から選択肢のひとつに挙げていたところだ。
日にち的に現在はN大で治療しているが1クール後、場合によっては治療を希望するかもしれない
。新宿のビジネスホテルに泊まり、翌朝、M病院へ、小1時間ほどで到着。
レントゲン一式を持ち込み、2時間程、待って院長の話が聞けた。CTより判断するかぎり動注の治療対象になる。その他、外来でも治療可である事など詳細を一通り聞く事ができた。

  

2004年5月30日

今日は家内のご両親が母のお見舞いに訪れた。
母もあいかわらず痛み止めは手放せないでいるが、まるで病人というのが嘘のように、ごくごく普通である
私の自宅のマンションと母のいる実家とは目と鼻の先で、実は、私の両親も家内の両親もマンションには来た事がない。ひょんなことからせっかくの機会だからと我が自宅へぞろぞろ来る事に・・・・。慌てて手早く掃除をして招きいれた。
そんな大したモノではないが、"和"を基調とした家具や、今時の液晶ワイド画面のテレビを見て、今度買うならこういうヤツにしようなどと母は言っていた。
周りにいる我々も病気の事など何かの間違いだったかと錯覚してしまうようだが、こんな何げないひとことで妙に現実に引き戻されてしまう。
どうぞ、その"今度"が普通に訪れますように・・・・。そしてずっと続きますように・・・・。
夜は母がテンプラを作り実家で食事。病気になってから皆で食事する機会が増えた。
脂っこい食事はさすがに食べれないため、母は我々にたべさせた後、自分用の食事を摂った。
結局、まあ、ひとつぐらいと言ってテンプラもたべていたが・・・さすがに量が食べれないと言ったのを聞いて心配になった。食べれなければ体力を維持する事が出来なくなる。

2004年5月31日
治療は第二週目入る。
本日はGEM投与の日だ。が、結果として点滴の投与はできず。血液検査の結果、白血球の数が減少しているとの事。
事前に情報として予測しており、十全大補湯、アガリクス、バナナなどを摂らせていたのだが・・・・。まさか二週目でそんな事になるとは思わなかった。
放射線治療の副作用もほとんどないのでこれらの漢方の効果かと思っていたのだが・・・・。
白血球増加の薬を注射し今日は放射線照射のみ。注射跡が痛々しい。血が止まりづらいらしい。

2008年05月30日 16時58分
体験日 : 2004年03月01日 ~ 2004年05月31日
治療状況 : 治療・入院時/治療
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