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『種まく子供たち』(ポプラ社 2001/04)
瀬尾 日東美さん(小児がん)
瀬尾日東美さんは、生後8ヶ月で神経芽細胞腫の診断を受けます。もうひとつ脊髄側わん症との闘いもありました。先天性だったそうですが、小児がん治療の際の放射線が進行を早くしたようです。もうひとつ、晩期障害として向き合ってきたのが腎機能不全でした。人工透析になるかもしれない。そんな恐怖と向き合いながら、病気を受け入れようと懸命に道を探していきます。
種まく子供たちを書いてから7年―――。あれからの瀬尾さんはどうしているのでしょう。あとがきの続きでは、そんな瀬尾さんに近況をつづっていただきました。
週に3日、車で15分ほどのところにある透析クリニックへ行き、お気に入りのパジャマに着替えて窓際のベッドへ向かう。ガーゼのタオルを下に敷き、体とかけ布団の間にピンクのストールをはさんで横になり、触り心地のよいモコモコの小さなクッションを枕にする。イヤホンをテレビにセットして、いつもの朝の番組を見ながら穿刺の順番を待つ。 慌しい朝、やっとひと息つく時間だ。体重の増加が少ないときにはカップ一杯のほうじ茶を飲む。しかし水分を取りすぎてしまったときにはお昼まで我慢だ。
この新たな生活パターンが始まって5年目に入った。
30の大台にのった年の暮れ、とうとう「その日」は訪れた。異国の地で倒れ、初めて透析を受けながら、もしかしたら私はかなり安堵していたかもしれない。日本で、「透析をするための血管・シャントをつくりましょう」と言われたときに、私は国外に逃げ出した。透析を受けるようになって一番驚いたのは、「いつ透析になるのか」という恐怖が自分で考えていた以上に大きかったということだ。長い間、これほどの恐怖に怯えていたことに自分でも気が付かなかった。
しかし、この愚かな経験が皮肉にもいまの穏やかな透析生活を支えてくれている。自力では限界になってしまった体を透析が少しづつ少しづつ元気にしてくれたのだ。浮腫んだ体が徐々にすっきりしていき、貧血でふらふらしていた頭もだんだんとしっかりしてくる、あのときほど治療が受けられることのありがたさが身にしみたことはない。シャントをつくったとき、手術室で一人、しばらく泣いた。だけどそれは最後の踏ん切りだったように思う。
透析は週3日4時間の拘束、そしてそれを生涯ずっと続けていかなければならない。しかし週3日4時間の透析を受けるお陰で、別の3日間は朝から晩まで仕事をし、休日は愛犬と元気にお散歩ができるのだ。いまの私にとってこの生活パターンが意外と楽しい。
20代の頃あちこち未開の地を旅したことを思い出すと、いまはあまり出かける気力がなくなっていることに気が付く。透析ばかりに頼らず、ヨガで体力を維持する毎日を続けていきたいと考えている。
以前、長野県の病院に入院していたときに、鎌田實先生がおっしゃった言葉、 “治療が受けられることはありがたいことなんだよ”・・・を実感する日々である。


















