HOME- > 病気と暮らし
- > あの著者は現在~「あとがき」の続き~
- > 『種まく子供たち』(ポプラ社 2001/04)
『種まく子供たち』(ポプラ社 2001/04)
佐藤 律子さん(小児がん・患児の母)
わが家の次男が小児がんで16歳の生涯を終えて11年、「種まく子供たち」の単行本が2001年に出版されて8年が経ちました。気が付くと、本当におかげさま。たくさんの出会いに支えられて、元気に人生(寄り道)修行をつづけている自分がいます。
人生は「上り坂」「下り坂」「ま坂(まさか)」の連続だといいますが、私の56年の人生にも、それなりに大きな「ま坂」がありました。(その1)次男が小児がんと診断され、1年4ヶ月入院通院を続けたのち、1997年9月に死去したこと。(その2)次男の死後会社をやめ、自身の夢に向かって独学で勉強を始めた夫が、2004年10月、55歳で脳卒中に倒れ、一命は取りとめたものの、右半身の障害と失語の後遺症を負ったこと。
けれど人生は深く温かい。次男や夫に付きそって、まさかの坂を上ったり下ったりしながら眺めた景色は、いままでとまるで違って見えました。それまで「あたりまえ」だった景色は、おしっこが出ることも、失恋する(できる)ことも、まさかの坂の上から見ると、優しい奇跡と知れました。酉(とり)年生まれの次男は「立つ鳥(とり?)跡(あと)を濁さず」で、私の手元にたくさんの「ありがとう」を残し、「いかに死ぬか」を教えてくれました。喧嘩ばかりしていた兄には、砂糖どっさりの黒こげ卵焼き、家族みんなには、ニンニクを手ずから剥いてニンニク醤油を残しました。
ある日突然倒れた夫を発見したのは、離れて暮らしていた長男でした。用事でマンションを出た長男は、「なぜか」足が勝手に我が家に向かい、ふとんに倒れている夫に気づいてくれたのです。そして救急車での搬送、入院、手術……。再び目を開けて喜ばせてくれたものの、夢半ばで道を絶たれた夫は人が変わったように荒れ狂い、医師も私も手に負えませんでした。リハビリも中途半端なまま、家に帰るといって聞かない夫、「このままでは病院にいてもらうわけにはいきません」、と言い渡された夫が、不思議なことに、一人暮らしをしていた長女が見舞うと「父親」の顔を取り戻し、おとなしくなるのでした。
子育てをしたのではなく、親育てをしてもらったンだ。親として子どもを育てたのではなく、子どもたちが、私と夫を親にしてくれたンだ。それは目からウロコの大発見でした。
私はいま、まさかの坂の上で見たり考えたりしたことを、時々学校や病院でお伝えしています。これは私にとって一期一会の楽しいライブであり、くりかえしま坂に出会う苦しみ。そして何より子どもたち3人からの、かけがえのない贈り物だと思っています。
2002年に気のいい印刷屋さんを値切りたおし、ヘソクリで、子どもを亡くした方向けに自費出版のメッセージ絵本「よもぎリーフ 大切なあなたへ」を製作。最近では2007年11月に「いのちの灯台 生と死に向きあった9組の親子の物語」(明石書店)を出版しました。
現在の夢は(1)「語り手書き手」の現役として人生を終えること。(2)主催している子どもを亡くした親たちによる語りのネットワーク「いのちの語り手登録バンク」の輪がゆるやかに広がっていくこと。(3)私の死後、長男と長女が充分生きてから、あーおもしろかった、といって人生を終えること。





















