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『女医が乳がんになったとき』(ぶんか社 2005/10)
小倉 恒子さん(乳がん)
早すぎた訪れ―――34歳で乳がん告知
乳がんを宣告されたのが昭和62年。祖母の乳がんを自身が4歳のときに発見した経験もあり、乳がんには気をつけなければという考えがなくはなかったが、まさか34歳という若さで発症するとは思ってもいなかった。医師の家系に生まれ、自身も医師になった。
夫も同じ耳鼻咽喉科医。ふたりの子供に恵まれ、傍から見れば幸福にも見えていただろう、そんな最中の乳がん告知だった。いまでこそ温存手術が当たり前になってきたが、当時はまだまだ乳腺から脇の下まですべて切除するハルステッドが主流。左胸を摘出した。覚悟はしていたが、あばら骨の上に皮一枚となった姿にはさすがにショックを隠せなかった。家族の思いやりはひしと感じてはいたものの、乳がん患者としての孤独感は募るばかり。悶々としているところに出会ったのが乳がん患者会の‘あけぼの会’だった。
ワット会長のひと言、「書いてみたら?」が導いてくれた、新たな世界、‘書く’ことの悦び
自宅マンションが会の拠点であるワット会長宅に近かったこともあり、折を見ては顔を出すようになった。同じ乳がん患者と触れ合えるあけぼの会には、ほかでは得られない癒しがあった。あるとき、ワット会長に言われた、「あなた、話が面白いのだから、書いてみたら?」。
その言葉をきっかけに、病気体験をつづり始めた。あけぼの会の会報誌への掲載から始まり、ほかの媒体にも投稿したりなどしているうちに、執筆を依頼されるようになった。自分の書いた文章がきっかけで取材を受けることも。そんな中で知り合った編集者が本を出版することを後押ししてくれた。そうして生まれたのが、『女医が乳がんになったとき』。
実は手術から5年が経った頃、元夫に離婚を言い渡された。以来シングルマザーとして、女手ひとつで1男1女を育ててきた。本著では、乳がんの発症から離婚、再発の不安や乳がん患者としての活動に至るまで、正直な思いを赤裸々につづった。
その後、乳がんが再発、再々発し、現在は全身転移しているが、いまも現役の医師としてフルタイムで勤務中。抗がん剤治療を受けていようが、1日だって遅刻したこともなければ休んだこともない。医師として白衣を着れば、気持ちがぴんと引き締まるし、患者さんの笑顔に励まされる。それに、患者としての思いなら嫌というほど味わってきたのだ。患者の気持ちが誰よりもわかる医師だといっても言い過ぎではないでしょう?
再発、再々発でも、諦めないで、愉しく生きようよ。
処女作である『女医が乳がんになったとき』を出版後も、がんとともに共生しながら愉しく人生を送るコツなども含め、自身の体験を中心に書いた『あなただって「がん」と一緒に生きられる』『怖がらないで生きようよ』や、母として愛する子供たちへのメッセージを綴った『Will-眠りゆく前に』など計4冊の本を出版した。このような機会に恵まれたことには、本当に感謝している。そうそう、すでに次回作の出版も決まっている。12月には書店に並ぶ予定だ。こちらは再発、再々発の方へ向けて書いた。再々発の全身転移だろうと、いままで通り人生を愉しむことに余念はない。ライフワークであるダンスも再開し、天職だと感じている医師の仕事にだって全力を尽くしている。こんな日々が愛おしい。だから、書いた。すべての人に、最後の最後まで、生きるための医療を、愉しんで生きるための人生を、決して諦めてほしくはないから。
2010年3月19日、小倉恒子先生は永眠されました。
謹んで、ご冥福をお祈り致します。
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- 【THE仕事人】小倉 恒子先生
- ┗ がん患者として、医師として、生き様そのものが、まさに‘THE仕事人’。
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