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『がん告知が私を変えた』(久保田 進吾 1996/04)
久保田 進吾さん(舌根部腫瘍)
『がん告知が私を変えた』を出版してから、5年ほど経って『生かされた私」という本を自費出版しました。「あとがきの続き」の原稿依頼を受けて最初に思ったのは、その本の前書きの部分です。そんな訳でここに紹介させていただきます。
『(私は)平成7年1月にがん告知を受けた。その時のショックとガンとの闘いを書いたものが静岡新聞のご好意で本になった。もともと本にするつもりで書いたものではなかったが、それでも多くの方々から共感や励ましを頂いた。その中の何人かが、その後の経過を書くようにと言って下さった。本人は何とか病を克服して普通の生活に戻ってしまうと、もともと凡庸であり、自分の生活を生々しく人様に知らせるほどのことはない。しかし一度ならず死ぬことを覚悟したのであり、その後の人生観や死生観がどう変ったかを書くことは、先の本を読んで下さった方々への礼だと考えていた。
私の病気は舌根部の悪性腫瘍である。放射線と抗癌剤の治療は受けたが手術はしなかった。なぜなら手術をすれば舌と声帯を失い、物を飲み込むこと(嚥下)もできなくなるからである。とはいえ、それはメスで切りとったのとは違い病巣は残ったままで、素人の私は、いつ再発するかという不安に常にさらされていた。毎月の経過観察(診察)で、主治医に「異常なし」と言われるたびにホッとするという通院を続けていた。でも、あれから既に4年も経過してみると、慣れというものだろうか、その不安も随分と薄らいでくる。もちろん全快したというのではないが、しかしもう病人としての意識は相当に希薄になった。
多少の後遺症は残っている。たとえば、声が1オクターブ低くなって出しにくい。でも低音の魅力といってカラオケも歌っている。唾液も出ないというおまけもついた。これは実際のところハンディキャップとなっている。不思議なもので唾液が出ないと飴玉を口に入れてもなかなか溶けない。溶けないと飴玉は甘くないことも発見した。ビスケットなども噛み砕くと口の中でいつまでも粉のままで、フーッと吹くと煙のように出てくる。話をする時も水分を補給しないと舌が回らない。耳も聞えにくくなった。これは加齢もあるだろうが、放射線治療の影響と思っている。お陰で随分と聞き上手になったようだ。しかし生活全体でいえば、以前のような健康なときと大した変わりのない状態に戻った。
- 『生かされた私』
- 著・出版:久保田 進吾
- 発売日:1999/12
さて冒頭の人生観だが、どの様に変ったかといっても、それは私の固有のもので他人に話しても面白くないものだろう。だが一つだけ確実にいえること、それは、死の病の経験によって、私の人生の考え方が大きく転換したことだ。どう変ったか。死に対する認識の変化である。「死とはなに?」を一般論でなく自分のテーマとして考えられたことだった。「死は生の延長上のもの」という言葉の意味が私なりにわかりかけてきたことである。もう一つの収穫といえば、自分以外の周りの人のことを少しだけ思えるようになったことだろうか。他人を思うことが自分の人生の幅をこれだけ広げるとは知らなかった。それが人生観の変化だろう。(後略)』
実は、この二冊目の本を書いた直後に胃がんを宣告されました。幸い発見が早かったために部分摘出ですみました。それから既に8年が経過しています。そして現在は元気に暮らしており、最近、三冊目の本「マリアへの疑惑(仮)」を書き終えました。この本は創作です。素人の挑戦なので苦労しましたが、浅学ゆえの怖いもの知らずで、いま、発表を考えています。天が私を生かして下さるまでは走り続けます。


















