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『がんから始まる』(文藝春秋 2006/04)
岸本 葉子さん(虫垂がん)
『がんから始まる』で告知から一年間を、『四十でがんになってから』は治療後2年めを、『「ほどほど」がだいじ がんから5年』では3年めから5年半が過ぎるまでを本にした。この文章を書いているいまが、7年め。
五年が経過しても、境界線を引いたように、がんとの関わりが断たれるわけでもなかった。四週間ごとの通院はなくなったが、画像検査は半年にいっぺんと、それまでと変わらない。でもそれも、主治医によれば、もうしばらくしたら年にいっぺんに減らしていきましょうとのこと。
漢方と食事療法は続けています。もしかして再発を抑えるほうにはたらいていたかもしれないと思うと、止める勇気が出ない。まあ、生活習慣病予防の上でも悪くないのは確かなので、あえて打ち切りにせず、このままで行くつもり。
再発の不安は、五年が経つ前より軽くなっているものの、ゼロにはならないようです、私の場合。六年めのレントゲンで、肺と肋骨の重なるところに影がみつかったときは、「肺転移? それとも骨転移か」と胸に楔を打ち込まれるような思いがしたし(その後CTと骨シンチで、骨折の痕だろうとの診断)、肝機能の数値が悪い間は、重苦しい気分だった。
がんは遺伝子のエラーが免疫の監視機構をくぐり抜け……といった説明を読めば、「すると私は、エラーを起こしやすいか、監視機構がゆるいか、どちらかの、がんになりやすさがあるのだろうか」と考える。これはもう、実際のリスクがどうというより、性格的な問題かもしれません。あれこれと思い煩い、心配しやすい。
なので、治療した病院でのフォローのほか、人間ドックやレディースドックを、任意で受けています。次にがんができても、できるだけ早期でみつけようと。
治療の後遺症? というべきものはまだあって、先日は海外出張から帰った晩に、腸閉塞を起こし入院。手術後の癒着などのため、腸が詰まりやすくなるのである。そのときは、「私は腸を切った者なのだ。そのことをあなどってはいけない。たまたま帰ってからでよかったようなものの、向こうで起きていたらどうなっていたか。私はもう海外出張なんかできる人間ではないのだ」と反省し、うちひしがれたが、喉元過ぎれば熱さ忘るるで、次に出張の機会があれば、また行ってしまいそう。
執筆も続けている。ただし、ひと月あたりの締め切りの数は、一定以上にならないよう、注意しつつ。あまり控えめにすると生計が成り立たなくなってしまうので、バランスが難しいところだけれど。
がんになる前からの読者には、私ががんの話でメディアやセミナーに出ることに、違和感を示す人もいる。一方で、がんの本では共感したが、それ以外でものを書いているなんて知らない、という人も。
それで自然なのだと思います。私のすることすべてに好意的であってほしいとか、すべての面に関心を持ってほしいとかは、欲張りだと。読者の支持があって成り立つ仕事なので、人にどう受け止められるかを、私はたぶん気に病むタイプであったろうけれど、そのへんは、少し成長したかもしれない(開き直り?)。
よい報告をひとつ。住宅ローンが組めました! がんの人は生命保険に入れない、ゆえに団体生命保険への加入が条件となるローンは不可と聞き、私の人生から、その選択肢はなくなったものと思い込んでいた。
が、親の高齢化につれ、いざというときのため近くにひと部屋を準備しておく必要を感じて、銀行に相談に行く。著書名からして病歴を公表しているようなもので、隠しようがなかったけれど、なぜか審査を通った。返済期間は二十年。
少し前までは、将来という言葉を口にするのさえ苦しく、一年先のことだって考えられなかったのに、二十年というスパンの時間に基づいて、話し合えるようになっていた。心の回復を実感した出来事でした。




















