あなたには書く力がある

『ほぼ日刊イトイ新聞』の人気コラム「おとなの小論文教室。」でおなじみ、文書表現・コミュニケーションインストラクター山田ズーニーさんから、こんな素敵なメッセージが届きました。
あなたの心の中にある「書きたい」気持ちが、きっと目を覚ましますように。

闘病記を書きあぐねているあなたへ、
私には、どうしてもお伝えしたいことがある。

1.いまのあなたにしか書けないことがある。
2.書きたいことは必ずあなたの中にある。
3.あなたの書くものを待っている人が必ず一人以上いる。

ささやかでもいい、
人にほめられなかろうが、どう思われようが、かまわない、
あなたの「本当の想い」を言葉にしてほしい。

私が、闘いの記録を書き始めたのは2000年。
ただし向かう相手は病気ではない、

「自由への闘いの記録」だ。

痛みも、かっこ悪い姿もそのままに、書く私を、
後に読者がそう称した。

私は、16年勤めた会社を辞めたら、
再び社会に入りそこねてしまった。
それからフリーランスとして独り立ちするまでの5年、
社会に自分の居場所を得るための闘いがはじまった。

当時を思い出すと、天井の節目が浮かぶ。

1件の仕事の依頼も、1通のメールもなく、
1人の自分を必要としてくれる人もない日々で、
それでも、朝から何かを探し求めて街をさまようものの、
結局からぶりで、私はよく明るい時間からふて寝した。

ふて寝から目覚めると、天井の板の節目を目で追った。
38歳、働き盛りの私には、結局それしかなく、
なんどもなんども、天井の節目を目で追った。

その時、生まれて初めてネットに文章を書きだした。

いまになって私は思うのだ。
人生で最も輝く時期に書き始めたからではない、
人生で最も「トホホ」な時期に書き始めたからこそ、
私には、文章を書くことができた。

「いまの自分は弱っているから、
いつかもっと強くなってから書こう」と人は言う。
でもそれは違う、と私は思うのだ。

大きな会社の恵まれたポジションにいた私には
きっと、文章なんて書けなかった。
書くなんていう面倒なことをわざわざしなくても、
仕事や、日々たくさん出会う人との会話や、
服装や化粧や、行動で、生き方で、
いくらでも自分を表現できた。

けど、肩書きを失い、活躍の場を失い、人の輪から干され、
自分を表現する道が閉ざされた日々では、

からだの中に言葉がたまった。

それでも、私は「想う」。
天井の節目をなぞるような日々でも、
私は、日々なにかを「想い」、なにかを「考えた」。
ただ、それは、言葉にならない。
ばくぜんと、ただもやもやと、ぐるぐると、
体の中にあって、自分でも正体がわからなかった。

書くことで、次々と、自分の中のもやもやが言葉になった。

それまで書くことをしてこなかったから、
つかいこなせない表現力で、探り、探り、
それでも、書いてみると、驚くほどに自分が見えてきた。

いままでいいカッコをしてきた自分や、
こんなに何もかも失ってもまだカッコつけたい自分や…。

それでも、そうしたヨロイをとって、
書いては消し、書いては消し、最後のさいご、
「素直なひと言」が言葉になったときは、
からだの内から力がこみあげ、思わず涙があふれた。

「このひと言」が書けたことで、
自分でもわからなかったものが正直な言葉になったことで、

深い内的な歓びに満ちていった。

「ひと言」は、
心からのごめんなさいや、
ほんとうはこうしてほしかったとか
人から見たらちっぽけな、
ときに人がひくようなかっこ悪いことでもあったが、
なぜか、「言葉になった」それだけで嬉しかった。

自分の腹にあった想いが、
こうして、言葉になってでてきたんだな、と思った。
そしたら、できがよかろうと、できがわるかろうと、自分の子、
生んだだけで満足だった。

書こうとすると、
必ず一度は不安に襲われる。

「自分には書きたいことなどないのではないか?」

でも、それは違う。
書きたいものはある。必ず自分のなかにある。

ただ、見つけられないだけだったり、
自分の中ではない、あさっての方向を探しているだけだ。

あなたも日々「想う」。

なにも想わない人間などいるものか。
お見舞いに来てくれた人の言葉にふと違和感があったり、
人が親切でしてくれることをどうしてか飲み込めなかったり、
その瞬間ごとに、あなたの深層は何かを「想って」いる。
あなたは意識しなくても、
深層では、あなたがあなたであるために、
必死に何か「想って」闘っている。

それが書くことの種だ。

私も、自分の中の小さなひっかかり、違和感、
ことばにできない感情などを出発点に書いた。

最初は、ネットに書くのだから皆さんに役立つようにと、
前勤めていた会社の知識の貯金などをきりくずして書いていた。

でも、社会に出られない日々があまりに過酷なため、
しだいに、見栄も、外聞も無い、
自分の想いと対話し、ありのままを書かずにはいられなくなった。

自分のありのままを書いたら、正直しょぼすぎて、
いったいだれが読むのだとへこんだ。
気恥ずかしさにおろおろした。

ところがその文章が、はやく、強く、読む人の心を打った。

気がついたら、史上もっとも気はずかしかった文章が、
もっとも読む人に伝わっていた。

まったく同じ経験はした人はいなくても、
だれでも心の底にうずく、自分でも言葉にできない想いを
かかえている。

だから、私が、ちっぽけでも勇気をもって言葉にして、
自分の想いを出したことで、
読む人は、まるで自分の深層に閉ざされた想いまで、
解放してもらったかのような、爽快感を憶えたのだ。

書いている内容ではない。

たった一人が、自分の内面の、個人的な想いを解放する、

そのことが、読む人に勇気を与えるのだ。
人は病気に共感するのでない、
苦しみに共感するのでもない、
あなたの病気をみるまなざしに、
苦しいときふと何かを想うことに、
そして、その想いを見つめて、引き出して、
「言葉にする勇気」に感動するのだ。

だからどんなに特殊だ、孤立しているとおもっている人にも
読者はいる。

必ず、この世の中に一人以上は、
あなたの書くものを待っている人がいる。

いまのあなたにしか書けないものがある。

「文章力がない」なんてかなしいことを言わないでほしい。
「自分はこれまで文章を書いてこなかった、
だから苦手だ」というのも間違いだ。

そもそも「書く」ってなんだ?

自分の内なる想いを言葉にする行為なら、
あなたはすでに人生のなかで何度も何度も
トライしてきているはずだ。

こどものころ、おかあさんに。
好きな人ができたときに。
ともだちとけんかをした、あのときに。

あなたは、これまでも多く、言葉で考え、
想いを言葉にしようともがき、
言葉でたくさんのことを伝えてきた。

あなたには書く力がある。

書くことによって、
自分の深層と自分の言葉をつなごう。

自分を表現しよう。

自分の書くものを待つ「だれか一人」と自分をつなごう。

あなたの中には、
まだ言えていない、言い足りない、わかってもらえない、
「言いたいこと」がきっとある。

山田 ズーニー(ヤマダ・ズーニー)

文章表現・コミュニケーションインストラクター。

岡山県生まれ。ベネッセーコーポレーション小論文編集長として高校生の考える力・書く力に尽力した後、2000年独立。 全国各地をまわっての表現教育のワークショップ・大学講義・企業研修・執筆・講演活動などを通して、 表現力・考える力・コミュニケーション力の育成に幅広く活躍中。 著書に『伝わる・揺さぶる!文章を書く』『あなたの話はなぜ「通じない」のか』『理解という名の愛がほしい』ほか多数。 慶應大学にてライティング技法・プレゼンテー ション技法の2コマを開講中。 『ほぼ日刊イトイ新聞』にて「おとなの小論文教室。」連載中 ラジオ「おとなの進路教室。」放送中。

1
Member_bn_1

ご意見ご感想をお聞かせください ライフパレットは、みんなでつくっていく、患者コミュニティサイトです。ご意見ご感想をフォームにご入力の上送信ボタンを押してください。