『小児がん』

星野店主のおすすめ闘病記
-蔵書数1万2千冊の闘病記専門古書店「パラメディカ」店主が選ぶ-

『陽介、パパがついてるぞ』

著者は1952年生まれ、京都大学医学部卒。学生時代にスキーツアーで知り合ったという妻と結婚、3人のこどもが生まれ、京大病院老年科で働いていた。ところが1988年、小学2年生の次男・陽介君が「B細胞性急性リンパ白血病」と診断される。これは父による、発病から翌年の5月までの日記。脊髄腔に抗がん剤を注入するなど、同じ病院の小児科の医師たちによる懸命の治療で命は救われる。しかし治療開始3カ月頃から陽介君は「ハア?ハア?」と独り言を言い、失禁し、意思疎通ができなくなる。抗がん剤治療による副作用だった。脳障害が残ることを知ってからの記述は、読んでいて息苦しくなるほどだが、父は息子に向かって語りかける「陽介、パパがついてるぞ」と。

陽介、パパがついてるぞ

『陽介、パパがついてるぞ』

『碧い夜明けに母となる 小児ガンとの闘いの記録』

結婚と同時に母と保育園を始めた著者に、やがてふたりの娘が生まれる。三歳に満たない長女・文歌の右耳下がふくれているのに気づいたのは1990年、クリスマスの頃だった。最初の病院では耳下腺炎と診断されるが抗生物質で腫れは引かず、一ヶ月後に訪れた大学病院で「バーキッド型の悪性リンパ腫」進行度Ⅳ期と診断される。頭、耳下、胃と腸の間(回盲部)、目の裏の骨にも腫瘍が見つかり、7か月の入院生活が始まる。「あとでおうちへ帰るのね」が口癖の文歌ちゃんに、厳しい抗がん剤治療が続く。やがて寛解という「がん細胞が見えなくなった状態」で退院する。再発の目安である5年が過ぎるのを待ち、娘の寝顔を見つめながら、著者は自分が本当の「母親」になったことを思う。

碧い夜明けに母となる―小児ガンとの闘いの記録

『碧い夜明けに母となる
小児ガンとの闘いの記録』

『わたしの家の戦士と天使』

1967年生まれ、飛行機好きの航空エンジニアだった夫(勲)と、1964年生まれの妻(郁)との間に生まれた男の子(翼)と妹(愛)。兄妹そろって保育園に通っていた1998年、翼君のヒザの裏が腫れて診察を受ける。診断結果は「骨肉腫」で、主治医から5年生存率10%と告げられる。治療計画は3ヶ月の化学療法、がん細胞を叩いてからの右足切断、さらに化学療法、妹からの骨髄移植というものだった。現実には、さらに両肺の病巣部手術、IVH(中心静脈カテーテル)手術も加わり、退院までには20ケ月を要した。翼君は右足が義足になったし、小児がんには再発、晩期障害の恐れもある。いまは中学3年生になった翼君を励ますため、両親がそれぞれの立場から交互に闘病を振り返る。

わたしの家の戦士と天使

『わたしの家の戦士と天使』

星野 史雄 店主

星野 史雄 (ほしの・ふみお)

古書店「パラメディカ」店主

1952年、秋田県生まれ。
1976年、早稲田大学中国文学科卒業。1980年、同大学大学院修士課程修了。
慶應義塾大学斯道文庫嘱託などを経て、1984年から1997年まで代々木ゼミナール勤務。妻・光子の乳がんによる死(享年44歳)を転機に同予備校を退職。1998年に患者のためのオンライン古書店パラメディカを開店。病名から検索出来る闘病記リストの作成を続け、現在、闘病記は2,000タイトル、医療関連書も含めると12,000冊を越える書籍が書店に並ぶ。2000年からは東京家政大学非常勤講師として学生や社会人に、生きるための「情報検索」術を教えている。

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