『子宮頸がん②』
星野店主のおすすめ闘病記
-蔵書数1万2千冊の闘病記専門古書店「パラメディカ」店主が選ぶ-
『末期がん宣告を受けとめて』
著者は昭和30年生まれ、神戸大学医学部卒の消化器外科医。38歳になった春先、体調の異変を感じた石本さんは、研修医時代からの友人である産婦人科医に何度か診てもらう。しかし4ヶ月経っても痛みが収まらず、自身でほかの病院に検査を依頼したところ子宮頸がん(腺がん)と判明する。すでに10月になっていた。これは手術から翌年の3月に39歳で亡くなるまで、患者として医師としての思いをつづった闘病日記。がんの進行の早さに残された時間を思い、化学療法の是非を考え、ホスピスへの転院を手配し、母と自らの葬儀について語る。寡黙な父は娘の死後、残された専門用語の多い大学ノート5冊分の手書きの日記を、1年かけてワープロで清書した。
『エプロンが消えた朝―妻のガンと闘った松下電器・元広報課長の750日』
闘病記には“夫婦のいずれかが病に倒れ、残された夫(妻)が回想する”というパターンがある。これは夫が妻の闘病を書いた闘病記の“古典”。著者は松下電器の元広報部長、昭和19年生まれの妻はもともと病院嫌いだったが、昭和52年の11月ごろから貧血を起こしていた。周囲の勧めで翌年1月にやっと診察を受け子宮頸がん(Ⅱa期)と判明、2月に手術を受ける。昭和50年代はじめということもあり、医師も夫も本人にはがんと伝えない。夫は予後の悪い子宮頸管がんと知りつつ、再発しないことを願うが1年後に再発、妻は昭和55年に亡くなる。時系列で闘病を振り返りながら、その間の家族、親戚,医療関係者の思いを聞き取り、「証言」として残している。
『私、延命治療はしません―ガンで余命告知された妹・智子の選択』
これは実姉による妹・井口智子さんの闘病記録。平成10年の秋、36歳で未婚の妹から姉に「子宮頚部腺がんと診断された」と連絡が入る。子宮全摘手術を受けた妹は、排尿障害やリンパ浮腫に悩まされるが、やがて子宮・卵巣がんのサポートグループ“あいあい”の活動に参加し、損保会社の仕事に復帰する。しかし3年目に再発、姉妹は「余命3ヶ月」と知らされる。それでも妹は放射線治療で痛みを押さえながら、家族や友人と温泉旅行に行き、車椅子で海外旅行を楽しみ、自分のがん保険の生前給付金を頭金にして姉のためにマンションを購入し、自分の墓を準備、葬儀の手配をしてから亡くなる。死期を悟り、動揺しながらも、これだけのことができるのだ。



















