患者家族の心構え その2

【掲載日】2008年12月22日
【更新日】2009年10月30日

高橋 美佐子さん
朝日新聞名古屋本社報道センター記者

闘病のキーパーソンとして

患者家族はいま、どのような存在で、何を求められているのだろうか。その役割は時代と共に変わりつつあると感じている。例えば、かつては入院患者のベッドサイドに付き添い、医療者とともにケアを担う「人手」にもなっていた。それはマンパワー不足と「家族が面倒を見て当たり前」という社会通念に基づく価値観が根強かったからだと思う。

しかし、ひと昔前の大学病院でも、私にはそれを求められなくなっていた。毎日洗い立てのパジャマ持参で面会に足繁く通っても、施設にはランドリー機能が備わっていた。当時でさえ、医療機関が家族に求めるのは、例えば病状説明の際の同席や治療方針への同意など。つまり事務手続き面での役割が大きかった。その傾向は今後もどんどん進むだろう。

だが、思う。それだけで患者は支えられるのだろうか。あるいは家族の気持ちはどうなのだろうか。

人は社会的動物であり、地域社会、そしてさまざまなコミュニティに所属している。患者はもちろん、家族も生身の人間で、誰もひとりで生きていけるほど強くない。病気という不条理にさらされ、さらに追い打ちをかけるようなバッドニュースの数々は、患者本人はもちろん、家族の心にも鋭い刃を突き立てる。
私の知人の男性も、がんになった妻の看病にくたびれ果てて鬱を発症し、入院した。私自身も、夫の病状が寛解状態に入った途端、生きる目標を見失った気持ちに見舞われ、心療内科へ駆け込んでいる。それぐらい闘病のキーパーソンとなる家族の、物心両面にかかる負荷は大きい。

しかし、家族の話なので「逃げたくても逃げられない」という状況から学ぶこともまた大きい。病気や不条理と向き合うことは人間を強く、いや、確実に優しくするのではないか。
家族は、患者にとっての絶対的他者ではあっても、他人ではない。つまり二人称以下の存在なのだと思う。家族に降りかかったハプニングを、我が身のこととして必死に受け止めようとすること。その行為こそが尊く、人間という存在をいとおしくさせるように思う。

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