【THE仕事人】小倉 恒子先生

耳鼻咽喉科医

Shall We Dance, My Cancer?
~がんとともに踊りましょう~

がん患者として、医師として、がん患者のサポーターとして、小倉先生の生き様そのものが、まさに‘THE仕事人’———

本当にがんが全身を冒しているのだろうか。目の前にいる小倉先生からは、いかにも‘がん患者’の気配は皆無。現役バリバリの耳鼻咽喉科医には、紫色のスーツが華やかに映える。かつて、小倉先生のドキュメンタリーをつくろうと、彼女の生活を追っていたテレビ局が、あまりにもがん患者らしくないとの理由で撮影を中止してしまったというエピソードにも思わず頷いてしまう。

乳がん持ちのシングルマザー 。女手ひとつと言うけれど、女手ひとつ分、もない

小倉 恒子 先生

時を遡ること約20数年。当時の小倉先生は同業者である医者の夫とふたりの子供がいる恵まれた専業主婦。 傍からみれば幸せにみえるであろう生活も、女医としてキャリアを積んできた小倉先生には物足りない。 同じく医師である義父が、女医の嫁なんて生意気だと快く思っていないらしいことも負担になった。 からだの不調はずっと続いていたが、子育てによるノイローゼといわれるのがオチだろうと気付かないふりをした。
そんなある日、外したブラジャーにどす黒い血。 瞬間的に‘乳がんでは? ’との疑惑が脳裏を過ぎった。 すぐに検査を受けたが、結果はどれもシロ。 3ヶ月程経ったとき、夫に検査結果に問題はなかったものの、症状が続いていることを話すと激怒された。 翌日早々に夫の勤める病院で検査を行うこととなった。

結果は翻ってクロ。1987年、34歳で乳がん発症。 当時主流だった全摘のハルステッド手術を余儀なくされた。 当時、同じく医師である父は、主治医に「1年半以内の再発、再発後は約1年半の命」と告げられていた。 父はずっとそのことをひとり心の中に閉まっておいてくれていた。 教えてくれたのはつい最近のことだ。

5年が経った頃、追い討ちをかけるように、夫から離婚を告げられた。 通常がんの完治は5年間再発がないことを目安とするが、乳がんは10年といわれる。 闘いは終わったわけではない。 しかし、あっさりと離婚は成立。 しかも子供のことを考えて、2年間は再婚しないと誓った夫は、離婚成立3ヵ月後には再婚していた。 悔し涙がこぼれた。だが、ただ泣いていても始まらない。
乳がん持ちだろうがなんだろうが、子供をふたり抱えたシングルマザー。 この現実は変わらない。週5日いくつもの病院を掛け持ち、ひたすら働いた。 抗がん剤治療を受けている間も1日たりとも休んだことがなければ、遅刻をしたこともない。 だって、愛する子供たちを飢えさせるわけにはいかない。
ここで引き下がっては女が廃る。

そして、乳がん発症から20数年の歳月が経った現在、子供たちはすっかり成人し、それぞれの道をまい進している。

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