【THE仕事人】野田 真由美さん

支えあう会『α』世話人/がん診療拠点病院がん相談員

がん患者、がん患者家族、患者会世話人、千葉県がんセンターのピアカウンセラー(がん相談員)・・・がんを取り巻く多くの顔を持つ野田さんは、傍から見ればとても外交的な明るい人に映る。 だが、本人曰く、本当はとても怖がりで内向的。 そんな野田さんを外へ外へと連れ出してくれたのが、ほかでもない「乳がん」だ。

小学生の頃からの愛読書は『家庭の医学』かなり変わった子どもだった(笑)

野田 真由美 さん

「死に段々と近づいていくことが生きること。 ならば、自分はどんなふうに死ぬのだろう? 」
物心ついた頃には、生きる、死ぬ、ということをよく考えていたという野田さん。 生や死に対する問いから始まり、病気や医療への関心は、どんどんふくらんでいった。 のちに乳がんになったとき、「こんなものばかり読んでいるから病気になってしまうのよ! 」と友人に取り上げられてしまったが(笑)、小学生高学年時からの愛読書は『家庭の医学』。
幼い頃から自分でも不思議なほど医療という分野への興味は尽きず、学んでいく中で、とりわけ関心を持ったのが‘がん’という病気だった。 20歳のときには、千葉敦子さんの本も読んでいたし、キューブラ・ロスの『死ぬ瞬間』は、毎日本屋に通って読破した(笑)気付けば、自分ががんになったときに、こんな医療を受けたい、こんな主治医がいい、もし治らないということになれば緩和ケアを受けてホスピスで一生を終えたいというような、シチュエーションプランができていた。
野田さんにとって、がんは、がんになる以前からなじみのある病気だったと言ってもいい。

早期発見で温存も可能な中での、乳房全摘という選択

野田さんが、乳がん告知を受けたのは、1998年。 自身が乳がんになって確かに吃驚はしたが、患者がまず抱く、がんって何? 病院ってどうなっているの? といった不安はなかった。スムーズに、病院はどこにするか、治療はどうするかといった具体的な課題に向かうことができた。
とはいえ、がんを告知された直後は、がんになる前から心構えを培ってきたはずが、いすがガタガタ鳴るほど震えが止まらなかったという。
「患者としては、かなりへなちょこ」と笑う野田さんに、正直ほっとする。

野田 真由美 さん

さて、がんになると、多くの人はがんセンターや大学病院での治療を第一に思い浮かべるが、野田さんはまずそれらを外した。 外来はなに先生、手術はなに先生と分かれるのではなく、担当の主治医がいて、その人がまるごと診てくれるような医療を受けたいと考えたからだ。 しかも、教育という役割を担う大学病院では、患者は医学生や若い医者にとっての研究対象にならざるをえない側面もある。 幸い、野田さんの症状では、大学病院の高度な医療を要するわけでもなく、標準治療がきちんと受けられれば問題ない。
そこで、専門医のいる、家から近い地元の総合病院を選んだ。
乳がんは早期発見で温存も可能だったが、全摘を決意。異常なほど心配性な野田さんが、温存すれば再発の心配ばかりで日々を過ごすことになるだろうと見越した夫が、背中を押してくれた。 ただし、かつては軟式テニスでインターハイに出場したこともある野田さんにとって、大好きなスポーツができなくなることはQOLを下げることにつながるため、リンパ節の郭清はしない。 野田さんの選択からは、どんな医療を選ぶかは、がんの症状や状態もあるが、本人の価値観や性格、ライフスタイルも考慮すべき大事な要素であることが改めて思い出される。

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