【THE仕事人】金田 亜可根さん

『ホスピス研究会OKAZAKI』代表

愛知県岡崎市。名古屋駅から名鉄電車に乗り、特急で約30分。
カメラマンと東岡崎駅に降り立ち、待つことしばし。
ロータリーに止まったのは赤いVOLVO。運転しているのが、本日の取材相手、‘ホスピス研究会OKAZAKI’の主宰でもある金田亜可根さんだ。 

患者が、患者であっても、いままで通りの自分でいられる場所。

金田 亜可根 さん

車で向かうこと5分。金田さん宅へ着くとまず迎えてくれたのは、金田さんの夫、陶芸家・金田恭明さん。2階にあるアトリエを抜け、3階へ上がると、そこに広がっていたのは、なんとも懐かしいような気にさせられるやさしい空間。クーラーの代わりに、通り抜ける川風が心地よい。
インタビューは、「一緒になにかをいただくことは、人を結びつけること」という金田さんの手料理とともに始まった。テーブルには、茄子のおひたし、薄味のにゅうめん、豆の煮物、パプリカのピクルス、山椒じゃこ…が所狭しと並ぶ。恭明さんの器が料理をより引き立てる。住居や料理には人間性が表れる、と心底思う。
金田さんが代表を務める、ホスピス研究会OKAZAKIでは奇数月に、自宅を開放して女性患者の「お話の会」を開く。患者さんが、ただ話をして帰っていくサロンのような場を目指している。重篤な患者さんもいるが、次回もまたきっと参加しようと心の励みとするわけは、この空間に身を委ねて、金田さんの手料理に舌鼓を打ち、金田さんと話をしていればよくわかる。ほとんど食事ができないような方も、ここへ来たときは食が進む。手作りのおにぎりやおやつを美味しく食べられるお互いの姿が嬉しい。それに、ここでは患者であることを意識しなくて済む。会のメンバーにとって、いままでどおりの自分でいられる大切な場だ。1時から始まるお話の会が終わる頃には、いつの間にか日は沈みかけている。

患者会を運営していると、「患者でないのに、患者さんと近い関係はつらくないですか?」と、よく言われる。だが、近付くことを学んでいるのではなく、距離感を学んでいるのだと金田さんは言う。患者さんの力を信じ、どれくらいの距離感を持って接すれば、よい関係を続けていけるのかを学んでいる。必要以上に相手を深刻に考えたり、同情したりすることは一番いけないこと。患者さんを尊重し、そっと見守る位置にいられる距離感を誰もが学ぶべき、そう言える金田さんだからこそ、皆が自然と集まってくるのだろう。

話上手で聞き上手な金田さん。
印象に残ったのが、目の前にある大きな窓から見える銀杏の木の話だ。生まれる以前からあったという銀杏の木が一斉に落葉する日がある。家の周りをくるりと囲みながら、ざあぁざあぁと窓から窓へと葉っぱたちが舞う姿を家の中から見ているのは圧巻だ。まるで銀杏の渦の中に抱かれているような体験ができるのは、年にたったの一度っきり、ほんのひととき。彼女の住む家だからこそのエピソードに思える。家や自然だってすぐ傍らにいる人間と共鳴するのだ。

ホスピス研究会OKAZAKIへと導かれた、2つの死

金田さん自身が病気を患ったわけではない。なのに、なぜこのような会を? 金田さんにずっとついてきた問いだ。
金田さんは言う、「患者ではなく、健康だからこそ、できることもあるのです」。そもそものきっかけは10年前の7月7日。大事な友人の最期を看取った。大腸がん。齢44歳。病院へ駆け込んだときには既に末期だった。たった3カ月の闘病の間、黄疸に腸閉塞と次々と痛みが襲うも治療法はない。医師の友人に対する‘変わりはないですか’の質問の答えはいつも‘変わりはないです’だ。痛みがあることに‘変わりはない’。医師との信頼関係もすぐに薄れ、「治すところが病院だろ。病院とは一体なんなんだ」。とベッドを手で叩いて訴えていた。食事が来ても食べられないことを確認するだけ。痛みも取れない。本当に辛い、行き場のない叫びがあった。大きな会社の跡取り息子だった友人は、自分の人生の本当の始まりは、退職する60歳からだとそのことを励みに、不本意ながらも跡を継ぐことに折り合いをつけていた。その思いを皆が知っていたからこそ、44歳の若さで亡くなっていく事実を誰も彼に告げられなかった。自分が死んでいくことを知らないまま、友人は逝ってしまった。遣り残したことを遣り残したままで。

金田 亜可根 さん

苦しみながら病院のベッドで息を引き取った友人の死に、何もできなかったことは大きな後悔となった。 同時に病院の終末期医療に疑問を抱いた。病院は治療を行う場所であって、看取りの場ではない。 死と向き合う場にはなっていない。現代の医療現場で、納得していのちを全うすることは果たしてできるのだろうか? 悩んでいたところに出会ったのがホスピスの存在。 病院があるのに、なぜホスピスがあるのだろう。 病と出会ってから終末期まで、患者の思いにそった医療を実践できるホスピス理念を学びたいと考えた金田さんは、ホスピス研究会OKAZAKIをスタートした。

そしてもうひとつ、金田さんに死と向き合うことを余儀なくさせた出来事がある。 癲癇の発作で入院をしていた生後3ヶ月のわが子を見送った。 ある日、いつもよりも顔色が悪い息子に気付いた金田さんは医師に訴えたが、いつもと同じだよとの返事。 二度の訴えも取り合ってはもらえず、三度目、医師がようやく対応してくれたときには、既に遅かった。 「この子はもう死んでいくから、抱いていてあげなさい」と医師は言った。 なにもわからないまま、必死に抱いていたわが子は、腕の中で息を引き取った。わが子を抱いて呆然と立ちすくむ金田さん。 気付くと医師の姿がない。患者の死は医師にとって初めての経験だった。ショックを受けた医師は家に帰ってしまっていたのだ。 しかし、本当につらいのは医師ではない。決して許せないと思っていた医師が一年後、命日に訪れた。 「あの子は障害があったから、亡くなって親孝行をしてくれたんだよ」。 1年前亡くなった時にも言われた医師の言葉は、この時も繰り返され、今でも忘れられない。 だが一方で、命日にわざわざ来てくれたことは、医師としては最低だけれど、彼もひとりの人間としてこの1年間を苦しんでいたのだということに気付かされる機会でもあった。 誰にも言えなかった息子の死の痛みを分かち合えるのは、もしかしたらこの医師だけかもしれない。 医師が同志のように思えたとき、ようやく許そうと思った。 だが一方で、自分の気持ちには向き合えないでいた。 医師のその言葉に心が迷った自分がいた。 「自分では決して気がつかない思いではあったが、もしかしたら心の片隅で、ほんのほんの一瞬でもそう思ってしまったのかも知れない。だからこの子は逝ってしまったのではないか」。 その事実を見つめることがつらくて、それからもずっと息子の死を語ることはできなかった。 語れるようになったのには、ホスピス研究会の存在が大きい。 いのちのことをどう考えればよいのかがわかったとき、ようやく口に出すことができた。 長い間悲しみがいえることはなかったが、今は少し思いが変わりつつある。

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