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『キャンサー・ギフト』(新潮社 1995/05)
高橋 ユリカさん(大腸がん)
『キャンサー・ギフト』を書いた当時の「大腸がん」は、たいそうな状態ではなかったのに、手術後の抗がん剤により、鬱々と治っていかないという感覚を味わいました。それが副作用によるものだと知ったこと、そして、自然とともにありたいと願ったことが、わたしの人生のベクトルを変えたように思います。
まだ、がん告知率さえ低かった時代。日本では、患者会もほとんどなく、元気になって、告知が当たり前になっているアメリカの医療図書館や患者会から取材を始めました。どこか西洋医療の限界も感じて、東洋医療の熊本県公立菊池養生園を取材。そして、「患者が患者としてなかなか認められない」という水俣病にまで行き着きました。偶然の出会いを重ね、「治らない病はがんだけではない。人は治せない『老い』を経てターミナルを迎える。人はいつか、自然へ還る」という思いを抱きながら、『病院からはなれて自由になる』をまとめました。
熊本に取材をして、たまたま、「日本一の清流」という言葉に惹かれて川辺川を訪れ、初めてダム問題を考えるようになりました。流域全体で考えず、治水効果のみを優先させて、環境への副作用を軽くみる近代河川工学は、近代医療と似ていました。
人が自然を痛めつけている状態は想像以上。また、熊本の問題なのに、霞が関で決められていると知り、東京の者としてもお手伝いしたいと思いました。ホスピスの患者さんたちにお会いしながら、元気になったわたしは、自然を守る仕事をしたいという気持ちにもなりました。先に逝かれた患者さんたちにも背中を押してもらい、川辺川ダム問題は、ホスピスと共に、わたしのテーマとなりました。ダムとホスピス。どちらの仲間からも、不思議がられた二つのテーマでしたが、わたしのなかでは、「自然」を軸につながる課題でした。
この秋、川辺川ダム問題の決着が、やっと見えてきました。長かった10数年にわたる取材を本にまとめたところです。ダム問題は疲れます。途中、気をはりすぎたからか、数年前に再び、大きな病気をしました。でも、この度は公表しません。もともと関心があった街や都市の課題に、ちょうど取り組み始めたところで、目の前にやるべきこと、やりたいことが山積みだったからです。久々の病院通いでしたが、01年に「医療はよみがえるか」というタイトルをつけて本を出版したときとは全く違う位相になっていました。当時は、緩和医療不足の指摘でしたが、いまやお医者さん不足という思いもよらない事態。急激な変化を感じます。
身体が回復するや否や、思い切って旅を始めました。病気をきっかけに、ホームページ(HP)も創りました。がんがあってもなくても、その日々に、やれることをやる。だから、動けるときには旅に行き、ベッドの中にいるときは、そこでできることをと。その積み重ねのなかに、人生はあると感じています。「パリの貸自転車」など、少し気持ちを切り替えた記事も書き始めました。よかったら、HPにいらしてください。http://yurika-net.sakura.ne.jp/



















